おじさん(Age.62)日記By宙虫

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<<   作成日時 : 2018/05/28 12:57   >>

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公式サイト
http://loveless-movie.jp/info/?page_id=5

あらすじ★★★
一流企業で働くボリスと美容サロンを経営するジェーニャの夫婦。ふたりは離婚協議中で、家族で住んでいるマンションも売りに出そうとしている。言い争いのたえないふたりは、12歳の息子、アレクセイをどちらが引き取るのかで、激しい口論をしていた。アレクセイは耳をふさぎながら、両親が喧嘩する声を聞いている。

ボリスにはすでに妊娠中の若い恋人がいるが、上司は原理主義的な厳格なキリスト教徒で、離婚をすることはクビを意味していた。美容サロンのオーナーでもあるジェーニャにも、成人して留学中の娘を持つ、年上で裕福な恋人がいる。ジェーニャは恋人と体を重ね、母に愛されなかった子供時代のこと、そして自分も子供を愛せないのだと語る。「幸せになりたい。私はモンスター?」と尋ねる彼女に、恋人は「世界一素敵なモンスター」だと答える。ボリスもジェーニャも、一刻も早く新しい暮らしを始めたいと、そればかりを考えていた。

両親がデートで家を留守にするなか、息子が通う学校からアレクセイが2日間も登校していないという連絡が入る。自宅にやって来た警察は、反抗期だから数日後に戻るだろうと取り合ってくれず、ボリスとジェーニャは市民ボランティアに捜索を依頼する。夫婦とスタッフは、心当たりのある場所のひとつとしてジェーニャの母の家を訪ねるが、そこにはアレクセイの姿がないばかりか、彼女は別れて中絶しろと言った忠告を聞き入れなかった娘に自業自得だと、激高しながら告げるのだった。

帰りの車中で「結婚したのは母から逃げたかったから。あなたを利用したつもりが、家族を求めるあなたに利用された」と言い、中絶をすればよかったと後悔の念を口にするジェーニャ。捜索を続けるなか、アレクセイがチャットで話していた“基地”が、森の中の廃墟ビルの地下にあることが、クラスメイトの証言から判明する。夫婦と捜索隊は、その廃墟へと足を踏み入れるが……。
★★★

アンドレイ・ズビャギンツェフの監督?脚本によるロシア映画。
この監督を初めて知った「父、帰る」がすごいショッキングで、未だに忘れられない。
とにかくこの映画も同様に、世間一般でいう「いいひと」は登場しない。
もちろん、主人公たちは職場や恋人の前では、それぞれの立場で立ち居振る舞いをしていて、普通のひとなのである。
しかし、家庭はというと、もう完全崩壊のボリスとジェーニャ。
愛という言葉はお互いの恋人の前では、魔法の言葉のようだが、冷え切った家庭には何一つ落とさないふたり。
息子アレクセイが行方不明になって入ることに気づくのは二日立って、しかも、学校からの連絡だなんてあり得ない。
全てがあり得ないのである。
自分たちが育ててきた息子のことは二の次。
愛情のかけらも見せない。
とにかく、人でなしともとれる映像の連続に心が締め付けられる。
また、互いの恋人たちも、彼らが息子を抱えていることは何も触れない。
彼らも自分の今が良ければという感覚。
腹立たしい限りである。
この映画は、息子の捜索が延々と続くなか、ふたりはどんな結論を出すのだろうと少しだけ期待する。
しかし、それは大きく裏切られたようだ。
というのは、息子アレクセイは、前半、ちょっと姿を見せただけで、いらない子供だと罵る母親の声を聞きながら、影で泣いている姿が最後。
まさにこの子を探すことになるのだが結局最後まで二度と姿を見せることはない。
子供は行方不明というより、夫婦の関心事のなかでは不在に等しい・・・・。
死んだのか、生きていたのか、行方不明のままか、結局とらえないし、夫婦二人がどんな決着をつけて、お互いの恋人と暮らしているのかも見せない。
とにかく、映画は、夫婦ふたりが別れてそれぞれの新しい生活を映し出して終わる。
恐ろしいハッピーエンドである。
しかも、あれだけお互いを罵り合い、手に入れた恋人との生活も次に同じことを繰り返しそうな予感を漂わせながらのエンディングなのだ。
この映画は、結局、さまざまな伏線を投げかけるだけ投げかけて、何も回収してくれない。
相変わらずの監督だし、そう思っているから、それほど衝撃を受けなくなった。
けっこう、誰にもに潜む心理がありそうだなと感じて戦慄が走る。
息子はどうなったのか、例えば、普通のストーリーなら、母親が腹いせに殺して、偽装したとか、学校の帰りに森で池に落ちたとか、本当に遠くまで行ってしまったとか、観客は想像を巡らすが、映画はそれには全く答えない。
唯一、最後に見つかった遺体確認で母親は狂ったように息子ではないと否定し続け、父親は、泣き崩れる。
この場面でさえ、どういう風に見つかった遺体かも説明していないのだから、徹底ぶりはすごい。
そこから、前述のラストのシーンである。
ボリスの恋人は、あれほどべったりで彼を失いたくないとベッドの中で泣いていたのに、母親と同居し、ボリスはどこか置いてけぼり、彼らの間に生まれた子供をぞんざいにあつかっているし。
ジェーニャに至っても、金持ちの彼氏とべったりの生活だと思っていたら、スマホで、インスタなどを追いかけているばかり。
この姿は全編に流れる空虚な演出だ。
てっきり、今の不幸から逃げるためのスマホかと思っていたらそうでもない。
自分が楽しく、自分を愛してくれる、自分が愛せると思う、幻想を追い続ける大人たちの現実かもしれない。
身勝手だと思いながら、自分にもどこか引っかかりそうな映画だった。
癖の強い映画で耐えられない人もいるかもしれないし。
映画舘では、幾人かのいびきが。
そういう映画。
僕は面白いと思う。
が、「父、帰る」は、最後父親がどうかなって終わるのだが、この映画同様に父は死んだのかどうかもはっきり描かれていない。
そこまでの複雑な心象風景などの描かれ方は「父、帰る」に到底及ばないところでもある。




おじさんの俳句はこちらにも
http://musinandanikki.at.webry.info/201803/article_8.html

宙虫の俳句・・・・2017年をまとめています。興味のある方、お待ちしています。
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