おじさん(Age.61)日記By宙虫

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zoom RSS おじさんは何とか読んでいる(10)

<<   作成日時 : 2014/04/06 10:53   >>

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麦 4月号 踏生脚光

 子供の頃から地図を見るのが好きだった。弓なりになった日本列島を眺めながら想いをめぐらせる。鉄道路線や道路網を見ながら日本を見てきたつもりになっていた。
いろいろな地名も覚えた。全国どこにでもある地名もあれば、そこにしかない珍しい地名もある。
大分県竹田市が自分の故郷だが、この竹田という地名は全国にたくさんある。もう四〇年ほど前になるだろうか。「竹田の子守唄」を赤い鳥が歌ってヒットしてから良く聞かれたものだ。出身地を問われ答えると「あの竹田の子守唄の竹田ですか?」と必ず聞かれた。何度否定し続けてきただろうか。あの歌は京都あたりの竹田地方の歌だと。
最近では、天空の城「竹田城跡」が大変なブームになっている。同じく竹田出身者の自分に「いいところですね。」とか「九州に行って竹田城に行きました。」とか声をかけられる。が、大分県竹田市にある城跡は「岡城址」であり、決して竹田城ではない。この竹田も実は岡山県なのである。石垣だけを見れば良く似た城跡。間違われるのはしかたないと思うのであるが。
実は、大分県竹田市は「たけた」と初音をする。「たけだ」とは呼ばない。つい、教えたくなるのだが、そこまでは黙っておこう。
こうやって自分の故郷の「竹田」を考える。俳句の地名として「竹田」を詠うとしたら、すんなりと読み手は理解してくれるだろうか。東京や大阪や京都といった地名や津軽や肥後などという旧国名などはよく俳句のうえで見かける。いかに大衆がイメージできる地名かが大きなポイントになっているのはいたしかたないところだろうか。
いつか「竹田」の地名で「いいね!」と声をかけてもらえる俳句を作れたら「俳人」の顔をして「僕の故郷はいいところです。」と答えることができるだろう。くだらないけれど、俳句の世界のどこか矛盾の一端だと思うのである。

無言なる眼に映る眼の初紅葉   瀧澤伸行 

やや難解な構成になっている句だが、いろいろ想像をめぐらせることができる。無言なる眼。世間では「目は口ほどにものを言い」と言われている。無言ゆえに何か訴えかけているのだろうか?その眼にさらなる眼が映っている。そして紅葉がさらに。つまり二重にも三重にも重ねられた無言なるもの。何かを言いたいが言葉にできないものへのもどかしさが伝わる。例えば大仏などの大きな眼に紅葉が映っているのを見上げている時の感慨なのか。「眼に映る無言なる眼の初紅葉」と整理して、ひとつのかたちが見えてきた。できるなら「初紅葉」ではなく、「紅葉」として「無言」を鮮やかに強調してみてもいいのではとも感じている。

秋蝶の消えゆくまでを目で追いぬ 徳田英子

 秋蝶が消える。単に飛んでいる蝶のあとを追っているだけの景色だが、目で追うという行為に季節感がしんみりと伝わってくる。秋の蝶は消えてしまえばもう二度と目の前に戻ってこない。また、それを走って追うこともせずにその場にとどまっている。消えてしまうまでの時の流れに想いを乗せてセンチメンタルに。ただ、中七の「消えゆくまでを」がもったいない。「消えゆく空」や「消えゆく町」などと置き替えてみても面白いかなと思う。目で追う対象が変わってしまうが。

冬麗多弁な人と長い道      京コ和子

 長い道とは、これは人生のことであろう。いつもよくしゃべる人が近くにいる。思い返してみると自分のことを話すより相手の話すことばかり聞いていた人生。時にうるさく感じたり、ひとりにして欲しいと感じたり、反発することもあったのであろう。ふたりの歩いた道の途中。いつしかそのわだかまりもなくなっていた。やさしい冬の一日。「多弁」な人といながら、過去を思い、そして未来を思う。ずっと聞き役でいた自分はこれからも聞き役でいようと。「冬麗」がやわらかく使われていて心地よい。和子さんの訃報を知らせる麦二月号の踏生集の一句だが、人生をふと振り返っての句かと感慨深くした。ご冥福を。

鏡中に空と芒と戦中派      佐藤小枝

 鏡はいろいろなものを映して見せてくれる。女性はその鏡のなかで自分のいろいろなことを見つめる。単に化粧をするだけではなく、現実の自分を見てしまう時間でもある。よく友人の今の写真を見ながら「老けた」と思いながら、自分の姿が他人にはどう映っているのかはよく考えてもいない。唯一鏡を見る時間だけ今の自分に出会うのかもしれない。男性にはいまひとつわからない世界があるかもしれない。心象風景を見やすい鏡の句はたくさん詠まれ続けているともいえる。揚句、鏡に映ったものが自由の象徴かもしれない空、少し老いが見える芒、そして自分。その自分は戦中派。戦中派はいまや七〇代。まだまだ気骨が見える鏡の中なのである。

鳥渡る明日は東京かもしれぬ   松末充裕

 地方にいて見る東京というものの姿と東京に住んでいるものが見る東京の姿は全く別のものかもしれない。生活の場としての東京なら、地方の町の生活と変わらない日常がある。しかし、地方から見れば経済の中心であったり、人もたくさんいて、東京にしかないビルや立体交差がたくさんあるところなのだ。昔は東京も遠い存在だったが、現代は数時間で地方都市とは結ばれている。出張を命じられれば飛んでいかなくてはならない。日帰りでの東京出張がどんどん増えているのが現実。秋に渡って来た鳥たちは東京を目指すことなくこの地にたどりつく。その鳥たちを見ながら自分の毎日を思うのである。ひと昔前まで若者たちが抱いた東京への憧れは見えない揚句。ビジネスライクなつぶやきに思える。いま目の前の渡り鳥たちにため息混じりにつぶやいているようだ。

風雨禍の列島ぼんやり秋の虹   宮崎山景

 毎年、台風などで災害を受ける土地が必ずある。災害の多いこの国。災害のあとの脱力感がこの句を生み出しているように思える。命だけは助かったが、どこから手をつけようかと。この虹がくっきり見えた時から人は再び前を向くのであろう。



先月の踏生脚光
http://musinandanikki.at.webry.info/201403/article_2.html


2013年の宙虫の俳句を公開中。
http://musinandanikki.at.webry.info/201312/article_9.html



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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
こないだ、円錐でやっている同じ一句を数名で読む試みが面白く、ついひそかに乗りました。自分のブログでですから、誰もみてくれないかもと思いつつ。
かんじは音読みか訓読みかで別ものになりますよね。それを思った、とうれいでやったら、きっと又べつのかおになると。ふゆうららのく。
かささぎの旗
2014/04/11 12:57
音読み・訓読み。
仮名・漢字。
耳でも目でも。
それぞれ漢字が違う。
俳句は言葉を選んで表記しなくてはなりませんね。
ちょこっと化粧をして化けさせるってことだろうか。
宙虫
2014/04/13 00:07

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