おじさん(Age.61)日記By宙虫

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zoom RSS おじさんはなんとか読んでいる(5)

<<   作成日時 : 2013/11/12 23:44   >>

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麦10月号

「踏生脚光」

 今年の夏は、異常に暑かった。毎日、暑い暑いと言いながらくらしてきた。一方、山陰や北陸や北の方は大雨のニュースが続いた。九州でもほとんど雨が降らず、逃場のない暑さに耐えてきたのだ。考えてみれば電力不足はどうなったのだろうか。日中はかなり冷房のなかにいたが、ほとんど節電を叫ぶ声は聞かなかった。どうにも腑におちない。
 こんな夏に俳句を作る。その句には「ああ、この年は猛暑だった。」と記憶がついてくるのだろうか。これだけ日本全国に俳句を作る人間がいて、読む人間がいるのだから、この夏を共有すれば、それはすさまじい数の猛暑、酷暑、豪雨の句ができているのではないかと思ったりする。
 想い出の共有とは言え、写真や絵画とは違い、言葉で伝えるもの。当然、読む人間たちの暑さはそれぞれの地方の暑さなのだ。そこから共感できるものをいい句だとひろっていく。住む場所も年齢も職業もそれぞれ違うのだから感じ方は違って当然。同じ景色を見てもそれをどう見ているのかは口にしてみなければわからない。
 誰もが作る俳句の世界がいいのか。独創性にとんだ俳句がいいのか。それは誰にもわからない。俳句として記録されたそれぞれの想いや世界にこれまでの自分がうなずく時が共有の第一歩なのだろう。

逃げ水を追いかけ橋の好きな町  松岡耕作

 橋。印象的な橋がこの頃はあちこちにかかり人気を集めている。どのような橋なのだろう。大がかりな吊橋や河口にかかっている長い橋でもないようだ。僕のふるさとには、四本の橋がかかっている場所がある。一本は石橋の農業用水路。一本は鉄道。そして、旧国道と現在の国道の橋。毎日、学校へ通う時にこの景色を見てきた。国道の橋を渡りながら、鉄道と並ぶ石橋を見上げ、その下に通る旧国道の橋を見る。密かに自分だけの大切な景色だと思っていた。ある日、その景色が某焼酎のCМで流れたのだ。しかも、自分たちが目にすることのなかったアングルで。悔しかった。揚句、少し景色は違うが、真夏に出会うのが、橋が印象的な町だという。しかし、その町の景色はさほど強烈な印象ではない。結局、町を好きだとは言ってはいないように見える。真夏の光の中、結局橋しか見えていない町。ちょっとだけ歪んだ感情に共感した。

南風吹く凭れるための樹を探す  平山道子 

 暑くなってきた。木陰をさがす。夏が始まる。毎日、昼休みは弁当を提げて外へ出る。熊本は樹木が多いところ。とりわけ銀杏と楠だ。春の暖かな自分は太陽を浴びながら過ごすのもいいが。夏となるととてもそうはいかない。楠の大木の下に必ず陣取る。一年中そうやって過ごしてきた。昼休みは職場から離れて。何を考えているわけでもない。ネットを検索したり、本を読んだり。人間は一日がむしゃらに生きていられるものではないと思う。がっしりと根を張る巨木の下、支えてもらう安心感がそこにはある。ときおり南風が揺らす楠からぱらぱらと降る夏落葉。この景色が密かに好きだ。いつもそばにある楠と何がしか会話をしているような気持ちになるのだ。

我家だけ児のいない路地つばめ飛ぶ   石崎桃雨
                
 家の中の様相は年々変わっていく。家族が亡くなったり、外へ出て行ったり、帰ってきたり。そのたびに家の中が狭くなったり、部屋が有り余っていたりと。そんななか、ふとまわりを見てみると。子供の姿がないのは自分の家だけだと言う。同世代の家が集まる住宅街。はたまた入れ替わりの激しい賃貸住宅かもしれないが。自分の家に子供のいた記憶はあるのだが、それは記憶。自分たち夫婦が年を重ねてきた証でもある。再び、孫の姿をこの家で見ることができるのかとも思う。毎年やってくるツバメたちは新しい命を育み続ける。取り残されているような路地の自分の家。今、路地にいる少年たちもいずれ大人になる。そして出て行く。児でいる時間はそれほど長いものではない。僕ら夫婦の今の時間がこの句の世界にある。

汗ばむや三越前で降りてより   笠井亞子

 東京。今から四十年も前になるだろうか。初めて東京に行き、銀座あたりを歩いたのは。特別な場所のように思えた。何度かそれ以来上京をしているが、なかなか銀座あたりに行くことはない。僕の頭の中の銀座周辺はかなり古い情報である。「三越前」は日本橋にある地下鉄銀座線の駅。例えば、この駅に降りるのに、普段着ではまずい。少しいやかなり上等な服を着て降りる。夏。都会は温暖化がかなり進んでいる。たくさんの人が動くこの駅で汗ばむのであろう。地下鉄の駅を地上に出ればさらに暑いのではなかろうか。ラフなスタイルでこの街は歩けない。暑くても何食わぬ顔で歩く人々。どこへ歩いていくのか。この街でなければ満たされない人たちが、この街にいる証のおしゃれをして。自分ひとりが汗ばむ姿を想像するとかなり滑稽にも思えてしまう。

捨て畑も捨て田も朧歪ませて   竹口十外

 けっして大きくないこの国の大地を切り開いて来た人々がいる。少しずつ開かれた土地は農産物を育て、人々の生活を支えてきた。そして、いつしかその地域の景色の一部になっていった田畑。四季折々の景色をその畑や田が彩っている日本の農村の光景だ。段々畑や棚田といった独特の景観を作ってきたのだ。その景色を「自然が溢れる」ものと扱われる風潮がある。ここでいう自然は都会に住む人間たちの目線の自然だと言えないか。その自然は田畑を守り続けるために受け継いできた人たちの手が加えられていることを無視したものではないかと。この国の自然には純粋な自然はほとんどないのが実情だろう。山歩きをする。集落から始まる登山道だが、山林地帯に足を踏み入れる。その昔、人家があったであろうと思われる土地があり、その近くに石積みの畑や田のあとに出あうことがよくある。そこに柿の木やみかんといった果木があることも。畑を捨て田を捨てた人々は、やがて家をも捨てこの地を去ったのだ。春。人の手が加わった田畑があって初めて見える穏やかな「朧なる景色」。それが歪み始めている。切ない。




先月の踏生脚光
http://musinandanikki.at.webry.info/201310/article_11.html



2012年の「宙虫の俳句」公開中
http://musinandanikki.at.webry.info/201212/article_10.html





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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
宙虫さんの句評、興味深く読ませていただいています。つい、引き込まれてしまいます。毎月の連載は辛いこともおありと思いますが、会員の皆さんは楽しみにしていますよ!!
餡子
2013/11/14 08:28
あたたかいお言葉ありがとうございます。毎月書きながら自分の話題の少なさに少々がっかりしてますが。あと半年なんとかクリアしたいです。
宙虫
2013/11/17 10:21

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