テーマ:エッセイ

おじさんはなんとか読んでいる(13)

やっと連載が終った。 なんとか乗り切った・・・・。 ★☆★ 麦7月号 踏生脚光  韓国の旅客船の沈没事故のニュースが毎日流れている。悲惨なニュースである。ずさんな運行状況をはじめ海洋警察などの救助体制の不備など次々と明るみになる。人災の側面が強い大事故となってしまったのがとても辛い。  このニュースで際立って…
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おじさんなんとか読んでいる(12)

踏生脚光 麦2014年6月号  自分の俳句の実力が追いつかないままこの踏生脚光も一年。無事に完走できそうだ。ありきたりだが長いようで短かった。  俳句は読んでもらって初めて成立するものだと再認識させてもらった。句会で。誌上で、ネットで、句集で・・・・。いろいろ方法があるだろうが、誰かの目に触れて俳句の両目が開く。ただ、句帖に…
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おじさんはなんとか読んでいる(11)

麦5月号 踏生脚光  ソチオリンピックが終わった。この踏生脚光が掲載される頃はもう過去のことになっていて、選手たちは新たな四年間を目指していることだろう。  スポーツのひとつの頂点がオリンピックにある。そこを目指して選手たちは技術を磨き、精神を鍛える。スポーツ単に運動ととらえてもそのすそ野は幅広い。オリンピック…
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おじさんは何とか読んでいる(10)

麦 4月号 踏生脚光  子供の頃から地図を見るのが好きだった。弓なりになった日本列島を眺めながら想いをめぐらせる。鉄道路線や道路網を見ながら日本を見てきたつもりになっていた。 いろいろな地名も覚えた。全国どこにでもある地名もあれば、そこにしかない珍しい地名もある。 大分県竹田市が自分の故郷だが、この竹田という地名は全国…
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おじさんはなんとか読んでいる(9)

麦3月号 踏生脚光  この原稿を書き始めたのが二〇一三年末。新年の準備をしながらの一日。カレンダーも二〇一四年のものを用意した。また次の年へと。このカレンダーがめくられてしまうと二〇一三年が完全に過去になってしまう。当たり前ながらそう思う。  人間は時間もなんとかしようと考えているのだろうか。きっと見えないところで誰…
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おじさんはなんとか読んでいる(8)

麦1月号「踏生脚光」  踏生脚光を受け持たされて毎月七枚の原稿を埋めるのに四苦八苦している。人の目に触れる俳句はこうやって誰かに評されているのかと思うとやや複雑。そして、俳句は詠むより読むのが難しいと改めて実感しているところ。  随分、このページで暑い夏のことを書いてきたら、いきなり冬がやってきた。秋が秋らしくなくあっという…
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おじさんはなんとか読んでいる(7)

麦12月号 「踏生脚光」  年々夏は長くなってきている。今年の夏の暑さは記録をあちこちで作った。毎日、日本中が三十度を記録したのだから。  しかし、これは地球温暖化やヒートアイランド現象などのものであれば、来年以降も記録は作られ続けるのではないかと思う。人間はここを乗り切ることができるだろうか?  今、これを書い…
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おじさんはなんとか読んでいる(6)

麦11月号 「踏生脚光」  休日は、家の中にじっとしているのが嫌いな性分。どこかに出かけようといつも考えている。新車で購入した車は、七年目で一〇万キロメートルを走行。九州内がほとんどなのだが、行けるならどこへでもとつい車を走らせている。目的など特にない時間を過ごすことが楽しい。  けれど、それで満足できないことは多…
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おじさんはなんとか読んでいる(5)

麦10月号 「踏生脚光」  今年の夏は、異常に暑かった。毎日、暑い暑いと言いながらくらしてきた。一方、山陰や北陸や北の方は大雨のニュースが続いた。九州でもほとんど雨が降らず、逃場のない暑さに耐えてきたのだ。考えてみれば電力不足はどうなったのだろうか。日中はかなり冷房のなかにいたが、ほとんど節電を叫ぶ声は聞かなかった。…
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おじさんはなんとか読んでいる(4)

麦9月号 「踏生脚光」  中山宙虫  幼い頃、時代劇や忍者ものが流行った。テレビ放送が始まって十年を過ぎたあたりだが、いわゆるチャンバラだ。男の子たちは、時代劇のヒーローになろうと竹や木の枝で刀を作ったりした。それを振り回していたのだ。昭和の時代はのどかだった。そういう光景をあちこちで目にしていたのだから。  いつ…
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おじさんはなんとか読んでいる(3)

麦8月号 「踏生脚光」 中山宙虫  ひとり。この数は孤独なのだろうか。それとも自由なのだろうか。職場や家庭の中でひとりになる時間はさほどない。いつも、誰かがそばにいる。いろいろな人たちの中にいる自分を特に考えることもない。人間は社会性の動物と言われている。コミュニティの中で個人を培っていくものだと。  しかし、時に、ひ…
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おじさんはなんとか読んでいる(2)

麦2005年7月号 「踏生脚光」   中山宙虫  人間の歴史のなかにあって、重要な役目を果たしてきたとされている火。この頃、自分たちの生活のなかで火というものを見る機会がめっきり減っていることに気づく。  オール電化の家に住むとガスの炎を見ることがない。ましてや竈を持っている家庭はほとんどないに等しい。愛煙家は、まだライタ…
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おじさんはなんとか読んでいる(1)

麦2013年6月号より 「踏生脚光」中山宙虫  今月から、踏生脚光を担当することになった。気ままに俳句を作って麦の誌上に発表するだけの自分がこんな場所で文章を書いていていいのだろうかとは思うが、このあとに続く同人までの橋渡しのつもりで気楽に関わっていくことにした。  今月は、冬から春にかけての踏生集から。これを書いているの…
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おじさんの俳句観

「6月12日・13日発表分・じゅんばん」について 俳句とはいったい自分にとってなんだろう? この疑問はどこまでもついてくる。 犬親父くんの暴走かもしれない俳句への傾倒をみながら、僕にもそんなときがあったなと思うわけで。 俳句への入り方は人それぞれで。 とやかく言う場面でもないのだろう。 どちらにしても、そこに楽しいという気持ち…
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