おじさんエッセイ(思い出のパッチワーク)

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思い出のパッチワーク(霏霏第74号冬に掲載)

 母校がなくなる。ついに来た。年々子供たちが減って、毎年閉校の話が出ていたが、今年度で母校である小学校が統廃合になるとの知らせが入ってきた。
 僕が入学した昭和三六年。一学年上は二クラスだったが、僕らを境に一学年一クラスとなって年々子供たちは減少を続けてきた。その間、木造校舎は取り壊され、鉄筋の校舎へ。校舎の位置も動いたり、プールができたり、小学校の様子も随分と変わっていった。
 卒業から四〇年をはるかに過ぎてしまった。もうあの頃には戻れない。時々開かれるクラス会。けして大人数が集まるわけではない。タイムスリップした感覚とはこのことかもしれない。自分たちの変わってしまった容姿や環境を抜きにして当時の会話をしている。ただ、少しだけ目線は大人になって。
 小学校の思い出。この話になると鮮明になるのが、ひとりひとり違った記憶に基づいて語られること。強烈に思い出せること。まったく思いだせないこと。自分ひとりが思い出として語ること。ひとは全く同じ思い出を他人と共有できるものではないといつも思っているが、不思議なことにクラス会でそういう思い出が語られると思い出せたような気分になる。
 みんなで同じ黒板に向かって机を並べていた。ひとクラスしかなかったため、当然クラス替えなどはない。六年間の思い出をみんなで溜め込んでいるのである。
 しかし、その思い出となるとみんなあやふやだ。ひとりの思い出を誰かが訂正したりしながら穴埋めしていく。本当はどうだったのか誰も自信はない。運動会の話も皆の記憶をパッチワークのようにしてつないでいくのだ。
 校舎の様子が話題になったことがある。廊下がどうだった、階段がどうだった、購買部がどこにあった、給食室がどうだったなどなど。言われてみるとその全てをきちんと記憶していない。当時の木造校舎は既に取り壊されていて確認することはできない。結局、みんなの記憶ではその姿の全体はつながらなかった。六学年あったわけだから最低六教室はあったはずだとみんなで笑ったのだった。
 僕の体にひとつだけ喧嘩でできた傷がある。自分でも忘れていた傷だ。久しぶりに会った級友。その級友が喧嘩の相手だった。喧嘩の理由は覚えていない。喧嘩の結末がどうだったかも覚えていない。以降、険悪な関係だった記憶もない。突然再会でそのことを思い出し、彼に話したが、彼は全く覚えていなかった。まわりに友達たちもいたのだが、誰ひとり覚えていなかった。
 級友たちも音信不通を含めてだんだん数が減っていく。思い出のパッチワークの一片が埋まらなくなっていっている。本当は自分たちにとって大切な時間がそこにあったかもしれないのだが、二度と語られない時間となったのかもしれない。そして、自分もひとつずつ消えていく思い出に気づかないでいる。





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