おじさん(Age.61)日記By宙虫

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zoom RSS おじさんのなんでだろう

<<   作成日時 : 2016/05/01 10:08   >>

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でっかいかき揚げ。
全体がでかいのもあるが、具材の切り方自体がでかい。
かき揚げうどん大盛り。
黙々と麺をすすりながら。
いつの間にか春はどんどん深まっていた。
4月14日以降、カレンダーは進んだ。
気付けば4月が終わる。
気づけば。
咲きそろい始めていたつつじは終わりを告げていた。
満開の姿を見ていなかった。
あちこちの家の状態を見ているだけでその周りを見ていなかった。
ふと余裕をもてたからか。
急にそのことに気がついた。
明らかに新緑が深まっていたのだ。
屋根のブルーシートも目立つが、その裏山だったり、庭木だったり、柔らかな緑の世界が広がっていたのだ。
あんなに大地を揺られながらも彼らはたくましく自分たちの時間を生き抜いている。
この揺れる大地を離れることのできない彼らが。
いつも思うのである。
自然災害は避けようとしても避けられないものだと。
日本全国、どこにいたってさまざまな災害の危険はゼロというわけではない。
最近は確率でものを表すのが通例。
まったくのゼロなのか、ひょっとして四捨五入してのゼロなのか。
四捨五入であれば確率的には被災する可能性はほとんどない状態だが全くないと言っているわけではない。
大雨だって。
台風だって。
大雪だって。
干ばつさえも。
そして地震も。
確かに被災をした。
たぶん僕もその確率のなかをすり抜けてきたひとり。
被災をしても無傷で生きているのだから。
こうして時間が過ぎて、新緑たちを見ていると、自分の気持ちに変化が生まれる。
二週間が過ぎたのだ。
と。
そして自分は無事だった。
最初の地震以降、たくさんの心配する電話やメールなど寄せられた。
最初のうちは大丈夫と答えていたが、そのうち同じ答えを続けることが面倒になってきた。
大丈夫と答えれば次には何が不足してるものないですかと問われるからだ。
大丈夫と答える。
心配する人たちはきっとテレビや新聞やネットの画像や記事などがすべてと感じている。
最後には気をつけてとひとことがくる。
ありがとうとしか言えない。
いつしか自分は被災者などではない。
気持ちが前向きになってくるとそのたびこういった形で電話やメールがくる。
ああ。
なんでこういったやりとりで時間を割かれてしまうのか?
被災者は全部同じ形のなかに分類されているのではないかと思われる。
矛盾なのだ。
最初はありがたかった見舞いの言葉も次第にストレスになる。
よく頑張ってという言葉は使うなと言われているが、この震災でそのひと言をかけられる立場になってひしひしとわかる。
気をつけてのひと言も同じ。
声をかけられるたびに受ける方は次第にストレス。
わかりきっている。
頑張らなければ生きていけないし。
気をつけろと言われても何を気をつけろと。
不思議なものだ。
おやおや、こんなところでイラついていても。
ほんとに大変な人たちはテレビの画像の中の人たち。
ある程度、刺激のない部分は報道にならないことも。
きっと、この震災をそれぞれの角度で見ていけば、それぞれの目線がある。
ただ、冷静な目線はどうしても必要だと思うのだ。
連休は穏やかな日々。
余震はあるが・・・。
家をなくしたひとたちや職場をなくしたひとや。
助けがいるひとはたくさんいる。
頭の中で理解して整理していても。
これから先、まだまだ解決していかなければならないことはたくさん。
向かい合ってうどんをすする友人がいる。
何も変わらない光景ではある。
そして、他愛ない話を今はしたい・・・。






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