おじさん(Age.61)日記By宙虫

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zoom RSS おじさんはなんとか読んでいる(9)

<<   作成日時 : 2014/03/13 22:51   >>

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麦3月号 踏生脚光


 この原稿を書き始めたのが二〇一三年末。新年の準備をしながらの一日。カレンダーも二〇一四年のものを用意した。また次の年へと。このカレンダーがめくられてしまうと二〇一三年が完全に過去になってしまう。当たり前ながらそう思う。
 人間は時間もなんとかしようと考えているのだろうか。きっと見えないところで誰かが理論を推し進めているのだろう。まあ、私たちが生きている間に実現の可能性についてニュースになることはないだろうが。
 自分のまわりの時間を止められるだけでもすごいことだ。世間から一分でも二分でも遅れながらついていくことができたら。世間で起きていることを見極めながら自分の行くべき道を考えることができる可能性がある。
 自分のこれからの時間を選択する余裕があったとして、たどりつくのがどんなところなのか。それはたどりついての結果でしかわからないもの。不可能はないのかもしれないが、SFのなかのもので充分だと思う。
 人間は、ここまで様々な欲求や必要性から多様なものを手にしてきた。自然界にないものを作り出し、宇宙まで飛び出したし、目に見えないものまで見ることを可能にしてきたのだ。
 しかし、それは自然破壊につながり、宇宙もゴミだらけにしてしまっているらしい。もし、時間を自由に手にすることができたら、どんな弊害があるのだろう。いろんな秩序だったものを毀していっているのが人間という存在かもしれない。
 多くは望まず、一年分のカレンダーを埋めながら生きていくだけでいいのかもしれない。そして、人間の探究心が少しずつ歪みを産みながらカレンダーを埋めていることも忘れないようにしたい。

出逢いは戦争流れる景色も戦争だった    大口元通

記憶を呼び起こすとその記憶の背景が戦争とは。衝撃的な句に出会った。こういう句に出会うと経験してきた時があまりにも違いすぎることに気づかされる。生半可に「いい句です」とも言えない。作者と同じスタンスで景色を見ることができないのではないかと不安にもなる。「出逢い」と書かれると僕らの世代は当然ラブ・ロマンスを想像する。戦時中の恋物語でいいのだろうか。甘い上五から一気に行き抜いてきた戦争という時代、そして現代へ。過去形で括られた恋物語はそれないりにハッピーエンドだったと願いたい。僕らが戦争を景色として見るとしたら、当然映像や写真で見たものだが。この句には作者だけが見た戦争があって、そこには時間の流れを伴っている。また、見方を変えれば現在も内戦などでこの句そのままを生きている恋人たちがいるのかと思うと胸が痛む。

実柘榴や作り話を子に語る    佐藤七重

子供から話をせがまれる。おとぎ話や童話を何度聞かせて来ただろう。寝つかせようとしているがなかなか寝つかない子供。そのうち話もネタがつきてしまう。気づけば勝手な作り話を聞かせている自分。そういえば、おとぎ話などは覚えている話と本で読む話の結末が違っていたり、登場人物が違っていたりすることがよくある。作り話とは違うかもしれないが伝言ゲームのように誰かが少しずつ話を間違ったり、作ってしまったりして・・。子供に聞かせる話は正しく伝えよう。でも、子供が誰かにその話を誰かに聞かせて語り伝える話になるとしたら面白い。それにはどれだけの時間を要するのだろうか。ただ、揚句の作り話はどこかブラックな話のように思える。そこに柘榴があるからだが。

あでやかに柿が吊られて二人の日 今野 等

 柿すだれ。幼い頃にはよく見かけた景色である。各家の軒先に剥かれた柿がずらりと並んでいた。けれど、この頃は実をもがれることのない柿の木をよく見かける。新年の縁起物として売られていたりする干し柿。干しても若いもんが食わない、と嘆くじいちゃんやばあちゃんとよく出会う。古い屋敷の庭には必ず一本はあった柿の木だが、今の新興住宅地ではほとんど庭木として見かけない。現代人にとって柿は買うものであって自分の庭の柿の木からもいで食うものではないのだ。ましてや吊るして干すなどもってのほかなのだろう。揚句の手間暇かけて吊るされた柿。吊るしたばかりのものと思われる。そのあでやかさにこれまでの夫婦の時間を見ているのだろう。少しずつくすんでゆく柿に夫婦ふたりで歩んできた時間を。「二人の日」に時の流れを感じた。

雁の声だけが渡れる空があり  戸塚いさ子

 
空を見上げる機会がどんどん少なくなってきている日本人。問題になっている歩きスマホなど自分の手元を見続けている姿が増えてきた。常日頃目線は下にして生きているのだ。これは都会であろうが田舎であろうが変わらない姿である。どんな所にいてもさほど変わらない文化が届くというのがこの国。本当は空も時間を追ってその姿を変えているのだが、今日は晴れそうとか雨になりそうとかくらいの気持ちで見上げる程度。そんな時、雁の声がする。見上げても雁の姿は見えない。ふいに空が気になる。どこからしているのだろうかと。見上げている自分のまわりには音のない世界が広がっている。そんな瞬間があることに気づき、渡りゆく雁の声としばし時間を共有する。きっとその瞬間は車の音や人の声はしていたのかもしれないが。時間と空間が広がっていく揚句だ。

妻の時間熟柿の時間廚かな    吉川葭夫

 時間は時に速くなり、ゆるやかになり、止まることなく先へ進んでいく。うまくそのスピードに乗っているのかと思うと落ちこぼれているのではと思う時もある。夫婦はそんな時間の中をふたりという単位で過ごしてきた。子供たちが巣立って妻との時間を顧みる。そこにいる妻は自分が知っている妻にほかならない。穏やかな時間がそこにある。そんななかで妻が妻らしくいられる時間はどこなのだろうと考えてみる。毎日毎日立ち続けた台所に気がつく。秋の日暮れの熟柿の姿と照らしながら「老けたな」と妻を見ながらも彼女が積み重ねてきた時間を思いやる。こういう感覚は男が厨房に簡単にはいる現代の「男子」には少し遠い話かもと思いながら。



先月の踏生脚光
http://musinandanikki.at.webry.info/201402/article_13.html



2013年の宙虫の俳句を公開中。
http://musinandanikki.at.webry.info/201312/article_9.html



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内 容 ニックネーム/日時
出逢いは戦争流れる景色も戦争だった    大口元通

夕焼け小焼けみんなこの世を流れて行った
札幌市 松田悦子

連句的。
現代川柳「点鐘」163号より
かささぎの旗
2014/03/15 08:00
時間のながれを表現するのは難しい。いつも考える。四半世紀がこの句にはあります。確かに。当時を描くのは簡単だけど。
宙虫
2014/03/15 11:22

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