おじさん(Age.61)日記By宙虫

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zoom RSS おじさんはなんとか読んでいる(8)

<<   作成日時 : 2014/02/23 19:35   >>

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麦1月号「踏生脚光」

 踏生脚光を受け持たされて毎月七枚の原稿を埋めるのに四苦八苦している。人の目に触れる俳句はこうやって誰かに評されているのかと思うとやや複雑。そして、俳句は詠むより読むのが難しいと改めて実感しているところ。
 随分、このページで暑い夏のことを書いてきたら、いきなり冬がやってきた。秋が秋らしくなくあっという間に気温がさがった。九州の山間部で十一月に初雪や初冠雪のニュースが流れた。特にそれが珍しい話でもないのだが、十月のはじめには気温が三十度はあったのが一気に雪のニュースになるとは。少し薄手の上着を見ることもなくコートやブルゾン姿を見るようになったのだ。今月の踏生集もちょうど夏と秋の俳句が並んでいる。はっきりしなくなりつつある四季。来年になったら、同じような秋がくるとも限らない。四季もあいまいになれば当然季語もあいまいになる。いまだ咲いているヒマワリに出会うのだから。
 麦の九州の仲間たちで年に一度集まって吟行句会を行っている。この句会はもともと九州で開かれた麦の全国大会から派生して毎年行っているもの。今年は総勢十五人の参加となった。いろいろな俳句関係の行事などを避けて十二月の初めで企画しているが、この頃の気温は本当に読みづらい。寒風にさらされたりするかと思えばぽかぽか陽気だったり。吟行句に「寒風」という季語がずらり並ぶかと思うと「冬うらら」が並ぶ。「冬の雨」が登場したことがないのが幸いだ。今年も穏やかな吟行句会を熊本市内で行った。そう暖かくもなかったのかもしれないが「冬うらら」に感じる一日。というのも句会の前の数日は九州のどこも最高気温が十度以下だったからかと思う。秋は初秋や中秋の感覚はなく、いきなり晩秋そして冬となった。
それでも俳句を作り続ける限り季語を追う私たち。

少しずつ異なる日日や鳥渡る  佐賀美津子
 
毎日の積み重ねがひと月となり、一年となる。何もかもぴたりと同じ日はありえない。わかってはいるが。世の中のスピードについていけなくなってしまう感覚もこの頃よく出くわす。生きていくのに精一杯になっているのが正直なところで、小さな日々の違いなど気にも留めていない。しかし、次第に日が短くなって日暮れも早くなってくると案外誰でもつい周りをみるのだろう。昨日と違う自分、他人、街、空、太陽・・・・。気づいたとしてもどうにもなるものでもない。同じ時間を生きていくことなど誰も出来ない。鳥渡るという季語がその感慨を深くする。

いつの間に人消え家消え紫苑揺れ 森沢詩子

 ひとの記憶はあいまいなもの。昨日まであった家が取り壊されたりした時、何かが違うと想いながら、その家がどんな家だったか覚えていないことが多々ある。いやそれが昨日なくなった家かどうかも怪しい記憶。移り変わる人間たちの暮らし。この頃見かけなくなった人がいると思ったら、次には家が解体されていた。そこに人がいた記憶は風に揺れる紫苑ということなのだろう。その家の住人のことも家自体のことも徐々に忘れるのが人間だ。やがて更地になったその土地に誰かが家を建て住みつく。いま揺れている紫苑も姿を消すことになるかもしれない。未来を暗示させる下五に共感をした。

白雲の一片は墓標広島忌     山本友章

 人間のしてきたことを考える。戦争というものは人類史における最大の汚点なのかもしれない。軍事力を有している国はいまだに世界平和のために「戦争」に正義を持ちこむ。人が人を殺すことに正義があるとは到底思えない。戦争が終結しても地雷や機雷が大地に海に。あたかも平和がやってきたような世界をニュースなどで見ているが。報じられない世界が実はたくさんある。原子力潜水艦が沈んだ海もあれば、日本でもいまだに不発弾が地中から出て来る。しかし、そのようなことは人々の口にのぼらなくなる。風化していく戦争体験。戦争を知らない人間たちが戦争を語り継がなくてはならない時代がやってきた。白く浮く夏の雲に戦争を知る者と知らないものとの想いの違いをふと感じる一句だった。

秋蝉しきり社史編纂資料室    中村欽一

 歴史を残そうとするものはさまざまある。歴史に名を残そうとするものでもなく、自分たちがやってきたものをアピールするためのものが社史。社史を編纂したとして、それが歴史の教科書に載るものでもない。自分たちの知っていた大企業も吸収・合併を繰り返し次々と名前が変わり、事業内容もよくわからなくなった。高度成長期はもう遠い話。長い不況を生きてきた企業たち。彼らが百年生き続けるのは並大抵のことではなかったろう。目いっぱい鳴き続けた蝉にも秋がきた。ぱたりと蝉が鳴かなくなる日がくる。複雑な経済状況の中、社史に編纂されないかもしれない資料たちが山積みになっているのだ。

横っ面張られお鉢の霧奔る    内藤信男

 山歩きを夫婦でずっとやっている。九州内の山なので、そう標高もなく日帰りができる程度のところばかり。年に十回足らずの山歩きなので自慢するものでもない。それでも下界にいるときと違う空間が大好きで。特に眺望の良い山頂に立った時などは「自分の足でここまで来た。」という実感が心地よい。そして、山頂でお湯をわかし、コーヒーを淹れる。小さな褒美だ。日本の山はもともと火山が多く火口跡の覗きこむように囲む「お鉢」と呼ばれる尾根があちこちの山にある。それを歩くのが「お鉢めぐり」。変わりやすい山の天気。突然の強風にあおられた時、谷底から湧きあがってくる霧。臨場感あふれる一句。

包丁の音は垂直新豆腐      橋本幹夫

 すとんと包丁が音をたてた。ここにもいつもと違うものを見つけた俳人がいる。豆腐を切る包丁の音がもともとするものかどうかは知らないが。というのも僕は豆腐を好きではないので、自分で好んで豆腐に触ることはない。だから豆腐を切ることもない。そこにどんな音がするのかも想像がつかないのが正直な話。しかし、こうやって俳句を読んでみると「確かに」音が聞こえる。この音を新豆腐を切った音だと信じることにした。




前月の「踏生脚光」はこちら
http://musinandanikki.at.webry.info/201401/article_15.html




2013年の宙虫の俳句を公開中。
http://musinandanikki.at.webry.info/201312/article_9.html



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