おじさん(Age.61)日記By宙虫

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<<   作成日時 : 2013/12/09 22:39   >>

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麦11月号

「踏生脚光」

 休日は、家の中にじっとしているのが嫌いな性分。どこかに出かけようといつも考えている。新車で購入した車は、七年目で一〇万キロメートルを走行。九州内がほとんどなのだが、行けるならどこへでもとつい車を走らせている。目的など特にない時間を過ごすことが楽しい。
 けれど、それで満足できないことは多々ある。季節や天気や時間。その場所のベストといわれる景色を自分は眼にしているのかという想いだ。
 例えば、花の満開の時期になかなか出くわさない時や、滝の水量が思うほどなかった時や見えるはずの島が見えなかった時など。行ったという事実だけが残り、空気に物足りないものがある。
 それは日常生活にもよくある感覚。自分の背中で起こっていることを見落としているのではと振り向いてみたりする。ひと筋だけ道を逸れて歩いてみる。ひとつだけ乗り物をやり過ごしてみる。いつもと違うひとたちとすれ違ったり、見たことない花と出会ったり。きっと見落としていた何かに気づく。
 観光地でも、裏側に回って見たくなる。そこに何かありそうな気がして。季節の変わり目や時代の流れや人生の転機。何かありそうな気がする。俳句の世界が、そこにありそうな気がする。

梅雨明けの一と日逆立つマヨネーズ   上田昭子

 昨日と違う。そんな日がある。ほんの数時間眠って目覚める。その日から明らかに昨日までとは違う日。それが梅雨の明けた日だった。空の色が違う。外の明るさが違う。いよいよ夏本番だ。こういう日に外へ出ると自分の影の濃さにたじろぐ。家の中にも光が満ちてくる。空気もそれまでの湿気に満ちたものではない。梅雨が明けた喜びが誰でも先に立つのだ。これでじめじめした陰鬱な日々から解放されると。しかし、人間は勝手なもの、この暑さが続けば「暑い」を連発し、「早く秋にならないか」と思い出す。季節の変わり目にテーブルの上のマヨネーズが逆さまに立っている。残りわずかなのだ。ふいに明けた梅雨。夏野菜たちが似合う食卓となる。そしてマヨネーズも新しくなる。梅雨明けしたその日一日をとらえた空気感が楽しい。

名も知らぬ花に屈めば若葉風  田辺さち子

 同じ風でもこんなに違う。日本語には気象の言葉が数えきれないほどある。同じ時期に吹く風だから、春風ひとつあればいいではないかと思う。毎日、歩いている道。そこが草原地帯であれば草原の風。そこがビル街であれば街の風。朝の風。夕の風。みな趣が違うのだ。まるでパズルのようでもあるが、瞬間に風に感じる季節感。ひとが四季を感じ取る要素のひとつに風は大きな役割を果たしているのかもしれない。花を見つけた。草花だ。よく見かけはするが、名前は知らない。名前を知らない花はたくさんある。新種の草花もたくさん植えられていて。ついつい覗きこんで見ることも多くなる。人間はいろんな花をあちこちから運んで、自分の手元に置いて来た。そして次々と咲かせる。ふいに吹いて来た風に「この花はこの季節の花なのか。」と名前は知らないが感じる。若葉の輝きに気付かされる風に。

今日も雨ほたるぶくろは不眠症  上 宣子

 ここのところ夏になるとゲリラ豪雨という言葉が日常に横行するようになった。短時間にどっと雨が降り、いきなり晴れる。それでもその雨が何日か分の雨だったりするから驚く。梅雨も様変わりしている。朝からしとしと雨。一日降り続くという日が少なくなっている。季語で「梅雨」と書かれれば、たいていの人間は一日続く雨を思うことだろう。しとしと降る雨が軒先から雨だれとなって土に穴を掘る。こんな景色もなかなか見なくなっているのではないか。あっという間に、あちこち水浸しになるゲリラ豪雨の扱いは俳句の世界でもやっかいなものになりそう。揚句のほたるぶくろも一日降り続く雨の中に咲く。元気はそこそこあっても体がどんよりと重い。低気圧の影響かもしれない。どこかへ出かけるわけでもなく。起きているのか眠っているのかわからない時間を過ごす。どこか懐かしい梅雨の景色に思える。

蓮咲いて聖地となれる池一つ   星 深雪

 聖地という言葉。このところあちこちで耳にする。恋人の聖地だったり、オタクの聖地だったり、唐揚げの聖地だったり。こうも聖地だらけになると本当に大事な場所がどこなのかわからなくなるわけで。もちろん、こういった聖地は、観光目的のキャッチフレーズだったりする。そこに人が流れる不思議な言葉なのかもしれない。個人的な感覚では聖地は「おごそかな場所」というイメージだったが、そうではないようだ。聖地にはたくさんの信者たちが押し寄せるものだから。そういう意味では、花の名所とされているところにも通じるものがある。揚句は蓮だが、菖蒲やしゃくなげやコスモスや彼岸花などなど。花の咲く時期にだけ人が押し寄せる。普段は誰も立ち寄ろうとはしない池に。多分、早朝の池なのだろう。静かに蓮の開く音を待ちながら過ごす。開く音がする瞬間に出会えば、かけがえのないものを皆と共有できることになる。思いがそこにたどりついたとき、蓮の池こそ聖地にふさわしいと感じたのだ。

青鬼灯濡れて少女の多弁な眼   中村せつ

 現代社会で少年少女の置かれている立場はとても大変だと思う。少子高齢化のなかにあって子供だけの世界はなかなか作れないのではと感じる。常に大人に管理されているのだ。当然、そこには事件事故に巻き込まれることもたくさんあるためだが。少年少女のからむ事件事故のニュースが相次いでいることを考えれば軽々しくこの環境を批判することもできない。しかし、親の知らない子供たちの時間があって、大人と接する時間と区別されるのが当り前ではないか。二四時間子供のことを把握しておかなければならない親も大変だと思う。さまざまな想いを秘めた少女の眼に出会ったとき、その想いの全てを聞きだしたいと思うのだろうか。そして、聞きだしたとして。大人の回答で終わらせてしまう。きっと。青鬼灯は、そんな大人に満足できないだろう。


前月の踏生脚光はこちら
http://musinandanikki.at.webry.info/201311/article_5.html



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http://musinandanikki.at.webry.info/201212/article_10.html





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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
宙虫さん、毎月「踏生脚光」楽しみにしていますよ。句評に入る前の一文が特に含蓄ありです。
餡子
2013/12/16 09:07
いつもありがとうございます。そろそろネタ切れです。今月もまだ手がつかずにいます。もうひとりが対馬康子さんに変わるんでややプレッシャー。
宙虫
2013/12/17 01:22

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