おじさん(Age.61)日記By宙虫

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<<   作成日時 : 2013/10/22 15:36   >>

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麦9月号

「踏生脚光」  中山宙虫

 幼い頃、時代劇や忍者ものが流行った。テレビ放送が始まって十年を過ぎたあたりだが、いわゆるチャンバラだ。男の子たちは、時代劇のヒーローになろうと竹や木の枝で刀を作ったりした。それを振り回していたのだ。昭和の時代はのどかだった。そういう光景をあちこちで目にしていたのだから。
 いつしか子どもたちの遊びは大人の目の前から消えた。そして、チャンバラをする子供たちもいなくなった。闘う遊びは、今やテレビゲームやインターネットの中。それも見知らぬ相手とどんなに距離があっても闘えるのだ。時代は確実に流れる。
 どの時代にあっても闘いはある。この平成の時代も過去にたくさんの闘いの結果、たどりついたもの。ここまで来るのにどれだけの争いを繰り返してきたのだろうか。歴史の中に残る戦は結局は人が人の命を奪うもので、話し合いで解決しようとするものではなかった。そこには、名前の残らない者たちの死が数限りなく・・・・。
 九州は日本最後の内戦「西南の役」の舞台になったところでもあり、あちこちに官軍墓地が残されている。官軍として命を落とした人々の墓石がずらりと並ぶ。「勝てば官軍」であり、負けた薩摩の士たちの墓はろくに整備されていない。官軍の墓地を訪ね、そこに刀で闘う人々の姿を思い浮かべる。本当に闘わなければならなかったのか。「闘い」は確かにあって、今の自分たちがいるということはわかっているのだが。
今月の踏生集で見つけた刃物にかかわる句たち。歴史を動かすものではないが、そこに描かれたノスタルジックな感覚を楽しんでみたい。

青竹を伐り筒として売られけり  小宅洋子

 竹の持つ魅力を日本人はよく知っていて、自分たちの生活のすぐそばに竹を置いてきた。竹林を抜ける風の音や雨の音。筍に春を待って。はたまた防風林としての役目もあったり。簡単に伐ることも出来、それを有効利用してきた。竹林が観光客を呼ぶところもあちこちにあるようで、日本人のわびさびの中心のひとつとなっている。その竹がこの時代になって疎まれるようになっている。温暖化の影響もあるような話を聞いたことがあるが、放置された竹林がどんどんはびこり、田畑や住宅に被害が出ている。そんな中、少しでも、竹山の整備ができればといろんなイベントに竹を使おうという動きがある。竹灯篭などの祭りが全国で催されているのだ。揚句、その竹を筒として売るという。伐っただけで特に加工されていないのかも知れない。それを買う人の意識のなかにわびさびがあるのかも。けれど、竹林の実態に考えが及んでいるのだろうか。勢いのある青竹ゆえに感じる売る側と買う側の気持ちのすれ違いが見える。わびさびだけではこれからの竹は語れない。そして、竹を伐るための鋸などでさえ、どれだけの人が使えるのだろうかとも思う。

雉子啼くや鍬立ててある畑の昼  梅木俊平

 農作業の合間なのだろうか。畑に鍬が立ててあるという。雉子の声が静かに響く。のどかな農村の光景である。幼い頃の記憶を辿るとこの光景はよく見かけたものだ。午前中の畑仕事を終え、昼食に帰っている無人の畑。時間がゆっくりと流れていた。しかし、時代が進むに連れ、耕地整理などで畑はどんどん大きくなり、機械で耕すようになっている。鍬があるにしても、それは農作業の主役ではないのだ。農産物の作付方法も随分と変わっているようだ。畝を整えたりする必要もなくなった作物も多い。朝から晩まで鍬を奮って農作業をする姿を見ることも少ない。さしずめ、現代の畑の昼は「トラクターのエンジン止まる昼」なのだと思う。そして、揚句の畑では、午後、かつて百姓と呼ばれた人が黙々と鍬で土を耕す姿を見ることになるだろう。後継ぎがいるのだろうか。それを思うと「のどかな春耕」と感想を言えない自分がいる。

天井に刀傷ありさくら冷え   久野眞喜恵

 刃物による殺人殺傷事件はいつの時代にも絶えることはない。日本では銃規制が浸透しているので、銃器によるものは稀であるが。平成の世に起きる殺人は、異常なものとして受け止められる。人が人を殺すということはあってはならない時代だからだ。しかし、世界では内戦などで公然と人が人の命を奪うニュースを目にする。それが普段起きている国に生きていれば、当たり前の光景なのだろう。そして、自分で自分を守ることしかできない。日本にもそういう時代があった。現代に生きる人間として第二次大戦は、戦争の醜さ、人の命の大切さを描かれるのだが、それ以前の時代劇については、歴史を作った者たちとしてある意味肯定的な扱いをされている。刀による闘いが大河ドラマとして描かれる日本。そして、時代を動かした闘いの刀傷が残る天井。その場に居合わせたとしたら、歴史が動いていると感じるのだろうか?花冷えの日、観光で眺める刀傷に想いを馳せてみた。

切り株に座して聞きいる百千鳥 佐藤としこ

 切り株。この懐かしい響き。田舎育ちのせいで切り株をいっぱい見てきた。木を切り倒すことがたくさんあったから。その昔、山から切り出される樹木はたくさんあったのだ。杉に桧にくぬぎに。山から切り出すものは、それぞれの目的ごとに人々の生活を支えてきたのだ。長い時間をかけて育つ樹木。いつしか彼らを育んできた山は、乱開発という言葉が生まれた時代に次々と姿を変えていった。そして、今は、その山を守ってきた人間が姿を消していっている。山は荒れ始める。切り株に座す。これは、古き良き時代の光景かもしれない。鳥たちの鳴き声を聞きながら過ごす時間は、過去に帰っていくものではないだろう。新興住宅街を望む高台にこの切り株はあって、様々な昔を思い出させてくれているように思えるのだ。

ほがらかな朝来てトマト丸齧り  平山千楊

 最後に、この揚句のストレートな切れ味。健康的な朝を手放しで喜びたい。トマトは朝採りの新鮮なトマトか。そのトマトの赤が異彩を放つのだ。なぜなら朝がほがらかだから。まるで、CMに登場する一シーンのようだ。朝ゆえにほがらかさを信じてみたい。トマトのひんやりとした食感とそれを丸齧りにする白い歯。ここまで思い描くと、さしずめ刃物を突き付けられたような錯覚に陥る。




先月の踏生脚光
http://musinandanikki.at.webry.info/201309/article_10.html





2012年の「宙虫の俳句」公開中
http://musinandanikki.at.webry.info/201212/article_10.html





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