おじさん(Age.61)日記By宙虫

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<<   作成日時 : 2013/08/30 17:05   >>

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麦2005年7月号

「踏生脚光」   中山宙虫

 人間の歴史のなかにあって、重要な役目を果たしてきたとされている火。この頃、自分たちの生活のなかで火というものを見る機会がめっきり減っていることに気づく。
 オール電化の家に住むとガスの炎を見ることがない。ましてや竈を持っている家庭はほとんどないに等しい。愛煙家は、まだライターを使用することが多いだろうが、その他の人はライターに触れることもないであろう。仏壇のろうそくも電球の明かりで炎がゆらいでいるように見せる製品が話題になっている。
冬の季語になっている焚火も実は環境問題があり、庭先で燃やすこともできないのだ。
 気がつけば、日本人の生活の中から消えようとしているものがたくさんある。記憶の中でしか火を扱えない。これから先の子供たちの中にはろうそくに火をつけることさえできない子供もたくさん出てきそうな予感。事実、その親でさえ竈も薪もマッチも知らない。小さな火のゆらぎに安らぎを覚え、炎におののく。こういった感情は、私たちの世代の感情とかなり違うものになっていくのだろうと。踏生集を読みながらこんな感情にひたっている。
 

啓蟄や携帯電話の中に風   山口方子 

 ここ数年でめまぐるしくその姿を変えていったのが携帯電話。その裏で固定電話の数はどんどんと減って、固定電話を設置していない家庭も随分あると聞く。揚句はその携帯電話だからこその臨場感がいい。春の嵐かもしれない。その風の音が相手の声と一緒に聞こえてくるのだ。どこからでもかけることができる携帯だからこそ風を間近でとらえている。部屋の中にいて電話をしあっているわけではないことが今風。そして、この句を読みながら、固定電話や公衆電話。赤や黒や青の電話などに思いを馳せる。さらに「携帯」はスマートホンと名前を変えてしまいそうだ。「昔、携帯電話ってものがあった。」と親が子に話す時代も来るのかもしれない。


ひとり言いいつつマスクはずしけり   徳田英子 

 マスクは歳時記で冬の季語としてずっと扱われているが、この頃では一年を通じてマスクの人を見るようになった。もともと風邪ひきがマスクだったが、この頃はインフルエンザなどの新型のものが年中話題になっているし、花粉症などのアレルギーもある。さらに九州では特に黄砂とともにpm2.5の注意報が何度も出た。いつのまにか、冬よりも春にマスク姿を見るようになった。揚句の場合、マスクを冬の季語として扱うかどうか考えてみた。九州に住む自分としては、初夏、スモッグのような遠望のきかない霞を見ながら、「中国大陸いいかげんにしろよ!」とひとり言を言いかねないなと思う。マスクをしているだけで、社会から孤立しているような錯覚を覚えるのだ。マスクの役目はめまぐるしく変わって時代を反映する。あまり好ましくない反映ではあるが。
 

啓蟄や生家に今も縁の下   林 厚夫

 昔はどの家にも縁側があった。そしてその下。つまり縁の下があった。縁の下から床下に潜り込んだりして遊んだ記憶もある。子供にとってちょっとしたワンダーランドだった。その縁側も今はなかなか見ることができない。家が現代風になり、縁側が姿を消しつつあるからだ。自分の生まれた家も世代が替わり、改築されたりして、縁側が姿を消し、当然縁の下もなくなった。揚句では、今も縁の下が残っているという。縁の下から出て来る虫たち。ほんのりとした郷愁がそこにある。縁の下がいつか「縁の下の力持ち」にだけ使われる単なる言葉ににならなければいいがと願う。縁の下のない家に住んでいるから。

一枚の厚紙切符鳥雲に   中村欽一

 鉄道の乗車券であろう厚紙切符。なぜこんな持って回った言い方をしたのであろうか?乗車券や切符で充分通用するだろうに。しかし、この厚紙切符こそリアルに今を表現しているものなのかもしれない。そもそも都会に住む人たちは切符を購入することなく「suica」などの電子マネーカードを使っている。乗車券を購入しても自動改札機にかけられるように最近は薄い紙だ。厚紙切符のイメージは小さくて固くて。小さな駅で発券してくれる切符。小さな駅から旅に出る。小さな切符ではあるが、かなりな旅になりそうである。いつか姿を消すかもしれない切符。その感触の確かさが好きだ。そして、厚紙切符と呼ばなくてはならない現代を思う。

故郷は皆小さくて冬すみれ   黒田多實生

 永遠であろう故郷という言葉。いつ帰ってもそこに自分がいたという証となる場所。故郷は永遠に不滅と思っていても、時代はそうさせてくれない。どんどん道はまっすぐになり、都市化が進んだり、過疎が進んだり。それぞれの事情が故郷にはある。それでも、皆故郷に想いをはせる。故郷に帰れば自分の家族がいて、それも大家族。友達もたくさんいる。そう思っていたが、年齢を重ねるにつれ、その故郷が小さくなっていく。故郷には母親ひとりという人もけっこう多いのではなかろうか。そんななか帰ってみると故郷は自分の想いほど大きなものではなかったことに気づくのだ。自分の生きた時代の故郷。父や母たちの故郷。子供たちの故郷。きっと形を変えている。故郷といえども現在・過去・未来とその姿を変えて行くのだ。

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先月の踏生脚光
http://musinandanikki.at.webry.info/201308/article_15.html



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http://musinandanikki.at.webry.info/201212/article_10.html





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