おじさん(Age.61)日記By宙虫

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<<   作成日時 : 2013/08/29 21:01   >>

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麦2013年6月号より

「踏生脚光」中山宙虫

 今月から、踏生脚光を担当することになった。気ままに俳句を作って麦の誌上に発表するだけの自分がこんな場所で文章を書いていていいのだろうかとは思うが、このあとに続く同人までの橋渡しのつもりで気楽に関わっていくことにした。
 今月は、冬から春にかけての踏生集から。これを書いているのが五月。九州では連日日中の気温が二五度を超える日々。いろいろな意味でギャップは大きい。今の時代は、インターネットで瞬時に様々なものをやりとりできる時代だ。このスピード感はいろいろなものを「時間遅れ」にしていく。リアルタイム。そのリアルタイムさが雑誌や新聞の紙の媒体を窮地に追い込んでいっているようだ。俳句もこの時間との闘いがいずれ矛盾の生むのではないかと思う。その半面、活字になった紙のうえの俳句の安定感にうっとりとしている自分もいる。この踏生脚光を麦誌上で目にするのは、盛夏の頃となるのだから。

木の椅子に掴まっている冬帽子  井川春泉

 するりとすり抜けていく言葉。それなのにもう一度立ち返って読んでみたくなる。単純な言葉の並んだ俳句だからこそなのかもしれない。揚句、最初は木の椅子に掛けられている冬帽子かと思ったのだが。そう読んでみると「掴まる」の中七がひっかかってしまう。再度立ち返ってみる。そこに冬帽子をかぶり立っている人間の姿が見えた。掴まっているのは人間。どこかに出かけたのだろうか。誰かと会っているのだろうか。笑顔を見せながら、実は立っているのがやっと。それも木の椅子に掴まりながら。急に切ない一句となった。木のぬくもりが救いなのかもしれない。

古文書のごと回廊をゆく臘梅   菊地京子

 故人の旧宅など最近は資料館として開放されてたくさんの人が見学に来る。そういった屋敷の回廊なのだろうか。長い廊下を歩きながら、ふと自分を考える。時代に忘れ去られそうな自分。古文書のごとき自分。きっと歩く回廊もまた時代を重ね、ぎしぎしと音を立てているのかもしれない。冬色の回廊に臘梅の色がやさしく映える。セピア色の世界が印象的な一句。

墜ちる落ちると春の草鷲づかみ  対馬康子

 人生は自分の思うようにいくものではない。春の空気が満ちて来る頃、ふと忍び寄る不安。春愁や五月病といった空気感だろうと思う。「おちる」のリフレインが絶叫に聞こえそうなのだが、そこまで大騒ぎすることはなかったようだ。まだ柔らかい春の草を鷲づかみしているのだから。本人は気付いているのかどうか。周りの人間には見えている。鷲づかみしても春の草は簡単に抜ける。落ちていく人間を支えることはできないことを。どんでん返しのような中七下五の展開が春の空気感をうまくとらえている。

雪掘って故人の家をさがしおり 佐々木洋子

 居住している土地によって当たり前の行為が他の地から見ると、「え!」と衝撃を覚えることがある。この句の場合、雪を掘る行為自体がその衝撃なのだ。九州に住む人間が雪を掘る行為を理解できるかどうか。雪は見守っていればその日のうちに融けてなくなる。九州ならせいぜい山間地で道路の除雪などをやる程度のもの。雪を掘る作業を目にすることはない。そのうえ、さがしものをしているのだ。それも家。大雪で埋まった家をさがす。雪解けを待てば、いくら故人の家であっても見つかるのではないか。そう思いついた時、この句の世界が見えた。ひとひとりいなくなったわけではない。その家の歴史がみな雪の下にある。豪雪地帯であるがゆえ、真っ白い雪は景色を一変させ、いろいろな記憶もすべて埋めてしまっている。雪解けの頃には故人のことを思い出せそうにない。だから雪を掘る。もっと深く深く。思いがひしひしと伝わってきた。

水あれば水にも浮かぶ春の雲   滝浪 武

 春の気分がいっぱいだ。それだけで充分幸せになれる。水に雲が映る。あらゆるところに水はある。この句、その場所を特定していないのがどこか魅力的だ。読者はいろいろな水のある場所を想像しながら読む。小さなコップかもしれない。広大な湖かもしれない。風のない日。おだやかな春の雲を上に下に感じながら春を実感する。その場に立ち止まってあくせくした時間を無駄遣いしてもいいよと言ってくれている。

地球儀を廻し黄沙をたしかむる  館川京二

 年々黄沙がひどくなっているのを実感する。ここ九州では真っ先に黄沙が飛来し、ひどい時には百メートル単位の距離が見えにくくなることもある。歳時記の春の季語として取り上げられた時は春の気象のひとつで風物詩的な扱いだったもの。それが今は公害を運ぶものとして忌み嫌われるようになってきた。今年はさらにPM2・5なるものまで黄沙とともにやって来ると言うニュース。本当に迷惑な話だ。アレルギーの人を含めて陽気がよくなる春先にみんなマスクをつけて歩いている姿を歳時記のなかで想定しただろうか?この句の「黄沙をたしかむる」の現代感覚が面白い。地球儀に表示されているものではない。黄沙の報道が流れるたび地球儀をまわしてその位置を確認する。これから先の日本人は黄沙の発生地点まで確認しながら自分たちの健康やくらしを気にしていく時代が本格的に始まったのだと再認識した。

このあたり冬の深さのしみじみと 山崎せつ子

 冬の深さ。それはさまざまなもので表現される。気温であったり、明るさであったり。街を歩いていて、ふっと冬を感じること。けして風の冷たさではないのだ。しみじみと感じる冬の深さ。例えばすれ違う人のさげている買い物袋の中身だったり、自販機の前であたたかい飲み物を逡巡している姿だったり、人間的な空気をこの句は持っている。下町の人情につながっていくような味わいがする。「このあたり」ふと立ち寄った路地のような場所。はたまた精一杯冬の日がさす午後のある時間。しみじみとした冬がそこにあったのだ。冬の深さはそれなりの体温をもって作者を迎えているのに違いない。


※俳句誌「麦」に書かされている。先輩諸氏の俳句にコメントするという作業だけでも緊張してしまう。一年続く予定。

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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
毎月、宙虫さんの「脚光」を楽しみにしていますよ。前書きの文章は特にいいですね。句への光の当て方が独特!!作者はいい読みをしてくれるなあとうれしくなると思います。長く続けてくださいね。
餡子
2013/08/30 21:02
半年の約束から一年に延びました。あと八回書かなくてはなりません。もう、話題がなくて。とにかくがんばります。なんとか。読んでくれるひとがいると信じて。
宙虫
2013/08/31 01:28

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